デジャヴ

暖かいお天気に気をよくして、外壁にPF菅をDIYしたり、土作りをしたり、夏野菜の苗を買って大きめのポリポットに植え替えたり、今日は早朝から夕刻まで、自分でも呆れるほど働いた。

そのためか、シャワーを浴びて夕御飯を食べて、お気に入りのJBLを鳴らしていたら、途轍もない睡魔に襲われ、炬燵に座ったまま起きられない。ある種の昏睡状態に堕ち入り、何か悪い病気の前兆ではないかと不安になった。

それでも、夏野菜の苗が揃ったので一安心、これから20日ほどお篭りしながら、土作りや切り出したり木材でキャスターつきの手押しケースを作ろうと思うが、極端な気象変動には困ったものである。

そんなことで、今日も1日が終わる。覚めてみれば、まるでデジャヴの世界を彷徨っているかの感覚に、時が止まったかのような感じで、窓からは満月の光が伺える。外に出てみると夜露の匂いに空気が美味しい。多分気づかないが、空気も栄養の一つではないかと思う。

そんな想いに、改めて自然の包摂に感謝したいと思う。

それにしても、夜風は優しい。改めて、今あることに感謝したい。

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暇潰し

今朝は雨で外気温は昨日より10度も低く外仕事ができないし、半袖では寒いので、炬燵に転がって今日の社会の混迷をどう紐解くか考えてみたが、変化と多様性の中、如何なる価値観や世界観も単独では機能しないから、不安が不安を呼びストレスを抱えてうまくないように思う。

そもそも、万物の創造主は神だから、元を正せば万物は一つである。そこには陰陽、清濁、善悪、真偽などの判断基準は介入しない訳で、神の怒りを買って天界を追われたルシファーも元を正せば、比類なき美貌と知恵を持った大天使である。それをサタン足らしめるものは妬みや傲慢なる知恵であって、清濁明暗を隔てる考えにあるように思う。

そんなことから、悪を悪とせず、偽を偽とせず、全てを同一視すれば、差別も偏見もなく、知恵や知識による抱え込みもなくなり気持ちも安楽になるやに思う。

元々、西洋の文化文明は自然界と調和せず戦い人間にとって都合のよいように改造して進歩発展してきた訳で、日本の文化文明が自然界との調和を大切に進歩発展してきたものとは根本的に異なる訳で、西欧文化を巧みに採り入れ新たなものを生み出す日本の文化や文明は、大前提として自然界との調和があると思う。

ゆえに、見方によっては生温いような感じを受けるが、何事も「過ぎたるは猶及ばざるが如し」で、調和ハーモニーやバランスこそが、平安に安寧に生きる秘訣であり、今日的なSDGSに通じるものだと思う。

まあ、人の一生は良くも悪くも、全て成り行きと諦め、その場その場のバランスな訳で、そこに背反律は存在しない。言い換えれば、「毒も薬、薬も毒」な訳で、身体に良い食べ物など単品で存在しないことからも察し得る。

まあ、私的には私達人間は自分以外の意識や物質で形作られており、その意味からして全てが借り物、唯一私を私足らしめるものは真我であり、肉体の欲に振り回されるような真我はあり得ない。

そんなことから、著名な高僧らが日頃から五感を滅して座禅や瞑想に勤しむのも合点がいく。しかしながら、娑婆の欲もなくては子宝にも恵まれず、これまた問題な訳で、何ともさっぱりしないものがある。要するに、zero sum思考ではなく、調和とハーモニー、バランスとグラデーションに、日本文化の真髄があると思う。

まあ、人間が生命体である限り、時計の針が負角に運針するが如く、生きることは消費そのもの、新たに増し加えるものなど何もない。あるとすれば、それは真我への道標や目覚めであって、全てはそこに集約される。

そんな昨夜の夢の続きに、気楽、安楽を決め込んでしまったが、明日は30度近くになるようで、激しいお天気のアップダウンには注意を要する。それにしても、今日の雨で鶏糞の悪臭が消えたのは朗報である。あんな匂いが染み着けば、正にお笑いの「笑い飯の鳥人」になってしまう。

そうでなくとも、この世のものとも思われない風貌に臭いとなれば、誰も寄り付かないどころか、長年連れ添ったカミさんにも見放されてしまう。そんな想いに、改めて、今あることに感謝したい。

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気力…

今日は牛フンと鶏糞を土に混ぜ込みながら土作りをしたが、今一体調が優れない。2、3日中に野菜の苗を買って大きめの育苗ポットに植え替え、5月中頃には地植えしなくてはならないが、鶏糞は安くていいが臭いがきつくて鼻につく。正に「泣き面に蜂」で、匂いで気分が一層悪くなり、午後は炬燵で横になって休んでいたが、こんな日に限って近所の家の取り壊しが最終段階に差しかかったのか土台を掘り起こしているようで、時折振動が伝わってくる。気にするとストレスになるから気分転換にオヤツを食べて誤魔化した。

ところで、最近は体力は言うに及ばず気力の衰えを具に感じる。特に小池都知事の学歴詐称疑惑や自民党の裏金問題やコロナに関わる一連の厚生行政のあり方など、嘘偽り、化かし合いの連発で呆れかえって失意失望を通り越し、社会生活そのものに嫌気が差してきた。

近所のお年寄りは朝から晩までテレビを掛けっぱしで、マスコミや政府のプロパガンダの言うなりで、印象操作による完全に思考停止状態で洗脳意識に染まっている。かたや人気のインフルエンサーのコメントも何か落とし穴があるようで、今一信用できない。まあ、簡単に言えば「疑心暗鬼」になってしまい、出会いそのものもいろいろ考えてしまい新鮮さを感じなくなってしまった。困ったものである。

ものの本によれば、社会的孤立は認知を早めると言うが、人そのものに関心や興味が薄れてしまい、それを凌駕する瞬彩への憧れも現実から芝居の世界へと、気力の衰えを感じる。

まあ、全てが作り物の浮き世だから、どうせ騙されるなら、楽しく愉快に騙されたいものである。

そんな想いに、デジャヴ(既視感)やメジャヴ(未視感)が交差する夜は、見えぬ世界を垣間見る思いに、改めて生きる意味を問いたいと思う。

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5月

風薫る新緑が眩しい5月は正にシンギュラリティ(Singularity技術的特異点)、次元上昇により新たなステージが花開く。改めて、今あることに感謝したい。

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刹那

いずれにしても、人生は憂いと悲しみに満ちている。刹那に生きる知恵がほしい。

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国際郵便

ご案内のように、3月1日から手書きでは国際郵便で品物が送れなくなった。「国際郵便マイレージサービス」と言うアプリを使ってラベルを作成しなくてはならない。

一度宛名を入れると使いまわしが出来るから便利は便利だが、地域によっては理解し難いアドレスがあり、宛先を入れるのに一苦労する。さらに郵送料は元払いだから、海外とのやり取りはそれなりに経費が嵩む。AIの普及から、スマホが使えないと海外に物品を郵送できない訳で、スマホは今日マストな持ち物になっている。

スマホで写メすればテキスト化され日本語に翻訳される時代だから超便利だが、そんな感覚で世間をみるようになってしまうと、ローテクで様々な要素が横入りしてくるアナログの世界とかなり解離する訳で、デジタルバーチャル意識と現実とは別物に近いものになってくる。

仮に、料理を一つ取っても、ガスで調理するのとIHでは異なる。IHでは中華鍋を振るってチャーハンは作れない。フライパンの温度や油の量、玉子やご飯の入れるタイミングや火気による不快感など、レシピイメージと実践は別物、現実は手間とタイミングが勝負な訳で、思考より実践、学習より実習に料理の本質が宿している。さらに言えば、食べることより作ることに味も含めた食文化の本質がある。

そんなことで、昨日はやっと夏野菜の苗床を作り、ゴーヤやきゅうり、カボチャやえんどう豆やバジルの種を撒きおえた。その他は5月の連休明けに苗を買って植えようと思うが、今期DIYするパーゴラはサイズを小さく変更したので、そのために残しておいた家の土台を掘り起こしたが、タガネとトンカチで細かく砕き、ツルハシとシャベルを使って概ね撤去した。その分広がった畑にはモロコシを余分に植えようと思う。

しかし、重機なら一気だが、手堀となると汗と埃の世界で、正に机上と現場の違いだが、電動工具にしても便利だが電源や保管場所が必要になる一方、細かい仕事には向かない。趣味道楽の私としては自分の感覚を頼りにノコやカンナを使った方が断然楽しいし、土掘り仕事もトカゲやコガネムシの幼虫やナメクジやハサミ虫とご対面しながら、汗をかくのが妙に落ち着く。貧乏人のみぞ知る世界である。

そもそも、人間の生活は自分にとって不都合なものはみな排除している訳で、土を相手の畑作や土工の仕事は不快で不都合なことばかり、しかし、これが妙に嵌まると言うか、今では土いじりしないと落ち着かない。まさにコロナ自粛で原点回帰したようなもので、机上の空論に踊らされない得体の知れない妙な意識が目覚めてしまった。ハイテクデジタルのAI時代に、ローテクアナログ不便不快不都合さが自分の本性に思え、何処かで意識がすり替えられ思い込みで生きてきたような気がする。

「出物腫れ物ところ嫌わず」そんな外れっぱなしの自分こそ自分であって、健康診断の数値や傍目の自分など糞食らえである。テレビやマスコミによる生き甲斐の搾取や意識のすり替えやくだらない思い込みに費やした時間は計り知れない。もう少し思慮深くありたかった。

そんな想いに、今日も朝日から頑張るじゃん。トカゲもダンゴムシもみんな僕を待っている。

掘り起こした土台の山

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頑張るじゃん

ダメでもともと、朝日を浴びて今日も頑張るじゃん。愛しの君はいつも「風を追う存在」だが、想いには夢と希望がある。

そんな想いに、今日も頑張ろうと思う。

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田中角栄さんや、今の岸田政権下の行政のあり方や裏金問題からしても、学歴が政治や行政に必要かどうか疑問である。諸外国(特に中東)では学歴はお金で買えると言うから、そんな程度に学歴を捉え、もっと幅広い視点から人物評価をすべきではないかと思う。

嘘も方便、時には優しい嘘も必要になるが、基本的に「嘘は泥棒の始まり」真実に向き合わず虚栄と強欲から人を欺く行為に他ならない。しかし、人類の繁栄が虚栄と虚構にあるからして、人に夢や希望を与える嘘なら許されるものかも知れない。

そもそも、明日のことは誰にも分からない。地獄と天国の瀬戸際を誰もが彷徨っているわけで、立ち止まって過去や現実を悔やんでも仕方ない。時には虚構の中に夢や希望をもって進んでいくことも「生きる方便」である。

人生は憂いと悲しみに満ちている。そんな現実に悲観しても仕方ないし、人様にご迷惑のかからぬ嘘に夢や希望を見出だして生きるのも「生きる知恵」である。ある意味、そんなところに宗教の本質があるのではないだろうか。

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愛の本質…  それはある種のドラッグかも、いや夢であり希望であり憧れであってほしい。

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気乗り….

今日は掘り起こした土台を適当な大きさに叩き割って運び出したが、一つひとつがかなりの重さなので、いっぺんにはいかず、木工をやったり昼の支度をしたりして、最終的に食休みしてから、残りの3個を運び出した。汗をかき土埃を浴びたのでシャワーを浴び、座敷に休むと、窓からの春風に癒しと安らぎを感じる。

木工建具の部材を切り出したので、やればやれるが草臥れたので、明日に持ち越すことにした。とにかく、最近は気力が続かず、いろんなことを途中に入れながらでないと完成しない。一気にすると気乗りしないと言うか、面倒に思えてくるから不思議である。別に嫌なことをやっている訳ではないから可笑しな話しだが、とにかく面倒臭くなってしまうから困ったものである。

そして、暫くすると、またやりたくてなるから不思議である。まあ、心とはコロコロ変わるから「こころ」と言うのだろうが、掴みどころのない心変わりには遺憾ともし難いものがある。

まあ、浮世に浮かぶ浮草のような存在だから仕方ないが、次第に変化や多様性にも飽きられ、置いてきぼりを食いそうだが、その時はその時、心地よく流されようと思う。

そんな想いに、今あることに改めて感謝したい。

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